過干渉な親を脱するためにすること
前回の続きです。
「過干渉」は、子どもに親の願いを叶えさせること。
「過保護」は、子どもの願いを叶えるために親が動くこと。
思春期ブルーに陥っている子どもに対して、「過干渉」をやめるために話しかけず、「過保護」にするとはどういうことでしょうか。
私の体験上、これは文字でさらりと読むのと、実践してみるのでは、ものすごくギャップのある大変難しいことでした。
なぜなら、母親として長年良かれと思ってやってきたことを根底から変えなければならないので、壮大なパワーが必要なのです。
「過保護」に接しようと、子どもの希望、要求を叶えるときに、小手先だけ、形だけで対応しても、子どもはすぐに見抜きます。
親が自分の要求を心良く思っていないことくらい、お見通しなんです。
では、どうしたら?
それは、「子どものことを心の底から信じること」につきます。
娘が発達障害でお世話になっている主治医は、
「お母さんが、心の底からこの子は大丈夫と信じられたら、本当に大丈夫なんですよ。」
と教えてくれました。
言われた当時は、娘がADHDと診断された直後で、本人が自分を受け入れるのに大変で大荒れですし、私も常に娘の難しい対応に振り回されていたので、その言葉を呪文のように唱えながら乗り越えてきたつもりですが、不登校を経験してからの方が、言葉の意味を実感できます。
なぜなら、「心の底から信じること」の意味が、本当の意味で理解できたからです。
子どものことを「心の底から信じる」ために
では、ここからどうやってその意味を理解したか、順番に説明します。
まず、子どもが不登校になるようなお母さんは、大抵とても真面目で、子どものために一生懸命なお母さんであると認識します。
その真面目なお母さん(私のこと)に育てられた子どもは、毎日同じことを言われ続けています。
子どもが、母親の指示に対して、どうして答えないかというと、もう既に知っていることだから。
つまり、「子どもは何でも知っている」ということです。
子どもが小さいころから、あれこれ口をすっぱくしながら教えてきたことは、もう既に何でも知っているのです。
何が大事とか、
どんなことが悪いとか、
お金に対する考え方とか、
日常生活の送り方とか、
お行儀よくする方法とか、
親が自分に何を求めているか、とか。
子どもは親の価値観をずっと植え付けられて育っているので、全部知っています。
そのことを「心の底から信じること」ができればいいのです。
「子どもは何でも知っている」のですから、親は何も言う必要はありません。
これが『過干渉の排除』です。
やるのか、やらないのか、親が決めることではないのです。
親がすべきことは、「子どものことを信じて、要求に応じること」。
これが「過保護」です。
心の底から信じていれば、子どもの要求に「無条件で」OKできます。
何やかんや条件を付けてしまう、という人は、「過干渉」な証拠。
ただ、最初にも書きましたが、実践するとなると、とても難しいです。
これまでの「脳のクセ」で、自分自身の思考のクセからなかなか離れられないんですね。
子どもからの希望、要求にはどうしても
(ああ、また面倒くさいこと言い始めた。)
(今度は何~~?)
と身構えてしまうし、口から出る言葉も、
「ウーン…。」
「え~っ!」
「ダメ、ダメ!」
「無理!」
とクセで答えてしまうのです。
対応策としては、反射的にしゃべってしまうのは、「脳のクセだと認識すること」だとか。
地味ですけど。
そして、自分が口から声を出す前に、何度も頭の中でリハーサルするのです。
(これは上から目線の言葉?
過干渉な要素がある?
子どもを信じている?
子どもの要求に無条件で応じている?
子どもの心の声は何て言ってる?)
こういう態度で子どもに向き合うようになれたら、スタート地点。
これまでの自分を根底から変えることになっているからです。
母親が自分を変えようと努力し始めていることは、子どもにすぐ伝わります。
次回は、もう少し具体的なケースを書いてみたいと思います。